「幼い頃にね、」 どこもかしこもしんと静まりかえっていて耳がちゃんと正常に機能して いるのかもよく判らなくなる程。やんわりと明かりを纏う月がちゃんと みえるのを確認して、うん、目は正常だ、なんて馬鹿みたいなことを本 気で考えて心の中だけで少し、笑った。 縁側に足を投げだして座ってぼんやりと満月をみていて、そうしていた 時ボクはふと幼い頃のことを思い出した。それをそのまま唐突に口走っ たもんだからとなりに座る春華が何ともいえない、あるいは何なんだと でも言いたげな、要は複雑な表情でこっちを向いたのも無理はないかも しれない。 「お前はすべてが唐突だ」 「あは、ごめんごめん」 「…、で?」 「は?」 「話」 幼い頃に、何だって?と。なんだ、結局そうやってきいてくれるんじゃ ない。もう春華ってば照れ屋のおちゃめさんなんだからー。おちゃらけ て言った直後に、そうだこの人は鬼をも喰らう鬼喰い天狗なんだという ことを再確認させるような形相を至近距離で直視してしまったボクは、 ちょっとふざけてる場合じゃないよ、本気で自分に駄目だしをして、そ れからとりあえず春華にごめんを大売り出しすることになった。 「幼い頃にね、ボクはよくあの月を追いかけたんだ」 「追いかけた?」 「うん」 幼い頃、今宵みたいにそれは綺麗な満月をみて、ちょっとでも近づけな いものかな、近づきたいなと思って、月めがけて走ったんだ。でも全然 追いつかないんだよ。走っても走っても。追いかけっこしてるみたいに 距離はちっとも縮まらない。それで何だか悔しくなって逆に遠ざかろう とするんだけど、それもやっぱり無理なんだ。開きも縮まりもしない、 やっぱりそうなんだ。どうしたって。 今になって考えてみるとすごく馬鹿みたいなことなんだけどねぇ。 一気に話して春華をみると、春華はさっきまでボクがみていた月をそう やってみあげていた。話はきいていたみたいだ。 「それで?」 「へ?」 「それで結局、何が言いたかったんだ?」 え、言いたかったこと?それは今言ったことがそっくりそのまま言いた かったことなんだけどな。ああ、でも。あえて加えるとしたら、きっと 。うん。 「つまり、ボクは月が好きだってこと」 「…は?」 「は?」 「…」 「…」 これだ!と思って言ったつもりだった。少なくともボクは。だけど春華 からこぼれたのは、は?という間のぬけたような1文字の音だけだった もんだから何だかボクも何て言ったらいいのか判らなくなって、オウム がえしみたいにただただ、は?とかえすだけの珍妙なやりとりになって しまった。 「今の話のどこをどうしたらそうなるんだよ」 「え、ならない?」 おかしいなぁ。そう言ったボクに春華は、やっぱりお前は唐突とか以前 の問題だ、とこぼした。その時の春華の横顔がいつにも増してびっくり する程綺麗だったのは月のせいなのだろうか、どうだろう。ボクは春華 にばれない程度にこっそり見惚れた。 「勘太郎、」 「ん?」 「でも俺も月は、嫌いじゃない」 ボクはきっと、追いかけるのが好きなんだ。                    月と鬼喰い















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勘太郎と春華の、微妙な距離感が好きです。