「…ちあきせんぱーい」 ピアノの音が唐突に止んだ。かわりに今まで奏でられていた音とはおよそ かけ離れた覇気のない声が聞こえてきたら誰でもなにかとおもう。なにか とおもって瞑っていた目を開けてピアノのほうに向けると鍵盤に手を添え たままこちらを伺うのだめと目が合った。 「ん、」 「…、真一くん」 「…なに?」 「…」 変。変だ。こいつが変なのはもう常識といってもいいが、これはちょっと いつもと違う変、だ。控えめに名前を呼んでみたとおもったら急に俯いて しまった。…なんなんだ。この静かさは。 横になっていたソファから上半身を起こして体ごとのだめに向き直り見据 えた。のだめ、と声をかける。俯いたまま返事はない。さすがに心配にな ってくる。なにか変なものでも拾い食いしたのか?まさかそんな漫画みた いなこと、とはおもうがなぜか完全に否定もできない。 「……し…」 「…し?」 「真、一……………、くん、ムキャー無理デスヨ!」 「…なにがしたいんだ、おまえは」 「あうー…先輩、呼び捨てってむずかしいんですね…」 のだめはうーうーいいながら鍵盤に顔を突っ伏して目線だけをこちらに向 けた。呼び捨て?なんだ、それでおかしかったのか。とりあえず拾い食い の疑いが頭から消えて安心したが、それもどうなのだろう。 なんでいきなり呼び捨て?とりあえず話にのってやる。のだめは、んー、 と唸りながら、急に気になっちゃったんです、ターニャもフランクもリュ カもユンロンもみんな呼び捨てでだいじょぶなのに…と、最後のほうは独 り言のようにちいさく漏らし、仕舞いにはオレを呼び捨てで呼ぶ長田はず るいと文句をいって、また俯いてしまった。 こいつは変態のくせにときどきいきなり可愛いことをいってくるから困る 。ずるいってなんだ、まさか長田に嫉妬とか?気がついたらソファから立 ち上がってピアノのほうに向かっているオレはいったいなにをしようとし ているのか。すぐ目の前ののだめに手を伸ばそうとしたところでのだめが ばっ、と顔を上げた。 「…先輩、もういっそカズオで!」 たぶん腰あたりにでもまわそうとしていた腕はその瞬間首にまわり、軽い 絞め技を喰らわせることになった。 「ふざけんな殺すぞ」 「ギャボーカズオー」 まったくこいつといると感情の起伏が目まぐるしい。なんだかはげしくど うでもよくなってきて、それよりおまえピアノはどうした、と、話を終わ らせようとする。が、僅かな差でのだめに先を越されてそれすら叶わない 。 「なんでターニャたちはだいじょぶで、千秋先輩になるとだめなんでしょ うねー?」 「慣れじゃないの?ずっと千秋先輩で呼んでたんだから」 「あーそっかぁ…だから恥ずかしくって呼べないんですかね?」 「恥ずかしいの?」 「デスよ!」 「…ふーん」 じゃあまずは千秋先輩がいないところで呼び捨てでいえるようにしてそれ から…なにやら段階をふんでいこうと考えているようだ。だからおまえ、 ピアノはどうした。 それにしてもあれこれ考えるその表情は真剣そのものだ。おもわず笑みが 漏れる。呼び捨て、か。 「…恵、」 俯いてぶつぶついっていたのだめが弾かれたようにばっ、とこちらに顔を 向けた。その頬がどんどん赤く染まっていく。 ああ…うん、これは、確かに、 「…っあ、先輩!どこいくんですかっ」 「晩飯の用意だよ、おまえはちゃんとピアノ続き弾いとけ」 晩飯時で助かった。丁度いい口実を捲し立てて台所に向かう。先輩!もう いっかい!もういっかい名前呼んでくだサーイ!、ムキャーという奇声と いっしょに必死の訴えを背中に受けたが今はとてもじゃないけど振り向け ない。手を当てるまでもない、顔が熱いのが否でも判る。 「…ほんとだ、すっげー恥ずかしい…」 なんて情けない、名前1つでここまで振り回されるなんて。 それでも、恵、と呼んだときののだめの表情を見れば、呼び捨ての効果が どれ程のものなのかも判る訳で、これは是非ともあいつの口からも訊いて みたいものだ、と、再開されたあいつのいつもより艶やかなピアノの旋律 を聴きながら冷蔵庫に顔を突っ込んだ。                           コール















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なんか…いろいろごめんなさい。
ちあのだは無自覚バカッポォがいいです。